nomuran's diary

野村直之のはてな日記(後継ブログ)です

会話のS/N比

 「うーん、あの会話はS/N比が低いなぁ」 などと発言するご友人がいたら、その人はたぶん(元)オーディオマニアでしょうね。 
 S/N比 : Signal/Sound to Noise Ratio
 
ノイズに比して、信号あるいはサウンド(楽音)の強度の比率がどれだけか、を表した数値指標。ヒトの耳の感覚に少しでも合わせるためか、通常、対数をとって、dB (デシベル)という単位で表現されます。Hifi (High fidelity) audioで、歪みや雑音の少ない、ピュアな音質である度合いを示します。

 転じて、会話のS/N比といえば、意味のある発話部分が、ランダム発言、無意味発言、理解の邪魔になるだけの脱線に比して、どれだけあるか、すなわち中身があるか、と形容したことになります。冒頭のように言われたら要注意。

 S/N比が低くとも、マシンガントークで絶対的にスピードが速かったり、重要な内容はポイントだけ押さえて思い切り省略しつつも切れ味よく表現するために、効率の良い会話、というのも存在はします。しかし、多くの場合は、多弁を弄しつつ、中身がなくて、伝達効率が悪く、聞き手をいらいらさせる話し方を注意された、と考えて良いでしょう。

 もっとも、どれが信号で、どれがノイズか、最後までわからない発話もあり得ます。最初に結論や目的を提示しないため、どれが脱線で、どれが本題なのか不明な場合がそうでしょう。しかし、それを意図的に行って、効果的な演出となることも、稀にあるでしょう。刑事コロンボのようには安心しきって観られない、本格推理小説なんかはそうなのかもしれません。優れた推理小説は、枝葉末節に見えることを含めてすべてが重要な伏線で、一言一句たりとも無駄(ノイズ)が無いのかもしれませんが。ちょうどモーツァルトが、無駄な音符は1つも無い、とオーストリア皇帝に断言したように。

 途中で考えが変わる、結論が変わっちゃう場合も、S/N比の計算は混乱することでしょう。また、モーツァルトに喩えるなら、「魔笛」の前半と後半で、ザラストロが悪玉から善玉に入れ替わってしまうように。モーツァルトは、陰影の絶妙な和声進行で、長調短調かわからない曲想を作る天才でもありました。白黒はっきりさせなければ気が済まない、当時の単純な聴衆には理解できなかったのもうなずけます。

 といって、決してS/N比が不明、もしくは悪い会話を擁護するわけではありません。話はわかりやすくてナンボ、論理の切れ味の鋭さで痛快な思いをさせてナンボであります。明快かつ劇的、という演出が成功するかぎりにおいて、途中での一時的なS/N比の淀みが許される、という風に考えています。かなりハイエンドなコミュニケーション手法ではあります。無意味な省略による曖昧さ、定冠詞か不定冠詞かわからない指示参照対象(名詞)の表出など、ほとんどの場合、有害無益。このような基本をクリアした上で、さらにグライスの会話の公準に示された、効率的かつ創造的な対話を維持・発展させるための協調原則を踏襲する。

 この程度ができて初めて、「型から入って型を出る」一歩手前。言い換えれば、序破急の、「破」にチャレンジしても良いくらいの域に達するのだと思います。

 この水準の会話者は、構造をもった知識を余すところなく言葉で正確に表現し伝える準備ができている。それに必要な記憶力、抽象と具体を瞬時に往来できる能力をもってすれば、外国語を正確に使いこなすこともさほど難しくありません。私が知る、日本語コミュニケーションの達人が例外なく英語がきちんとしゃべれるのも至極当然、と思われる所以であります。