nomuran's diary

野村直之のはてな日記(後継ブログ)です

バスリコーダー本番デビュー


 
 1週間ほど前に到着したばかりのバスリコーダーですが、いきなり本番デビューしてしまいました。
しかも、息子のバイオリンと協演です。あ、この写真の隣はしらないおじさんで、成人のお弟子さんということで私と同い年くらいらしいです。
  

もう1枚で、ホールで初演奏の後、お辞儀をしているのが、小4なのに、間違えてプログラムに小5と出て、小学生の部の最後に演奏させられた息子です。伴奏側にアクシデントが1分間位あったのに、影響を振り払って、絶対止めず、弾きなおさず、最初から最後まで5分半、バッハを弾ききりました。楽器を始めて1年ちょっとで人前でバッハを弾けるなんて、他の楽器とくらべてバイオリンっていいなぁ、、と楽器仲間に言われました。

標題の件に戻りまして、、日曜朝に録音と写真、ビデオ撮影の準備をしていたところへ、急に、「2nd (バイオリン)が1人食中毒になっちゃって、昨日2人になっちゃったのが、さらに1人に減っちゃってピンチです。何かの楽器で代わりに演奏してくれませんか?」と私に電話がありました。いくら発表会とはいえ、初見でしかもバイオリンパートということでどうかと思いましたが、音色・音量的に、バスリコーダーでばっちりなことがわかり、お引き受けしました。「2nd バイオリンのパートを演奏してアンサンブルしやすくなりました」と前の日記で書いたのが、本番で実証されることになってしまいました。

L. Mozartのおもちゃのシンフォニーから、第2、第3楽章です。
パパ・モーツァルトだからパパが出ないと、、というわけのわからん理屈はともかく、無事1音も間違えずに、結構ノリノリで本番をこなしてきました。G線の最低音Gから、上のd の音まで、様々な跳躍がありますが、なーに、金管と違ってどうということはありません。コンマス役の息子が、「ちょっとあわてて最初から、2回目の(速いテンポ)で弾いちゃった」と舌を出したアップテンポの3楽章でしたが、聴衆とともに楽しむことができました。

思い返せば、リコーダーでホールで演奏したのは、15歳のとき(中3の冬)、上野の石橋メモリアルホールで東京都のコンクールにソロ部門で出場して以来だから31年ぶり。当時は木製のアルトを入手したばかりで、「音色は楽器にまかせた!」とばかりテクニックに走り、G.Ph.テレマンの「ターフェルムジーク(食卓の音楽)」からソナタ ヘ長調の全曲を速いテンポで演奏し、優秀賞(1位無しの2位)を頂戴しましたが、、残念ながら録音は残っていません。まだ吹けるので、いつか死ぬ前に録音したいな(でも誰が聴くんじゃ!)、というのはおいといて、バイオリンとの協演が急遽実現できたのはとても嬉しかったであります。