nomuran's diary

野村直之のはてな日記(後継ブログ)です

人格が無ければ著作人格権もないわけか

nomuran72008-01-04

3日間とも別の立場で出演するPAGE2008関連をチェックしていて主催者ブログに行き当たりました:
http://page.jagat.or.jp/page/Default.aspx?tabid=75&EntryID=644

内容に関係の無い、内容の無いコメントがついていますが(本文記事のカテゴリが違うという批判)、それらはスルーしてみてください。

3Dのバーチャルアイドルを全く写真と見分けがつかないくらいの精度で一回作れば、あとは自由につかいまわせる。生身の人間を使わないのがポイントである。

同様に作曲した人が誰かに歌ってもらうと、あちらこちらにバラまく際に権利問題がややこしくなるのを回避するためには、バーチャルに歌う技術が必要になる。初音ミクもクリエータが自由にハンドリングできるものとして登場したと思う。だから伊藤社長はJASRACの扱いになることに怒ったと思う。

レコーディングされたもの、オンラインで配布されたaudio-visualコンテンツはすべてJASRACの縄張りのリソース、という直感的把握が間違い、と言い切れるかどうか。

原則、プログラムされたとおりの容姿や歌いっぷりの範疇から出ないのであれば、そのプログラムの製作者の著作人格権、著作経済権が及ぶのではないか、というのが私の感覚。ただ、現行法への不満ももっています。
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Watcher/20060810/245622/
上記拙文の中で賛同させていただいた高城氏と同じく、著作者が希望すれば様々な形で「著作権を放棄」できるような法改正は私も望んでいます。


上記ブログの結語「人権のないロボットによるものは知的財産の法律で縛れないから、その技術が伸びるだろう。」に対しては、「ロボットが著作物性を発揮できた場合においては」という条件付で賛成。ただ、著作物性を発揮できること、すなわち自意識があり(satient) 、人格をもつ、ということになってしまうと、2つの命題が矛盾してしまいます。

ビジネス上都合の良いときだけ人格をもたせて(ロボット製作者の権利を否定し)、都合の悪いときは、「人格が無いからロボットから出てきた '著作物' は著作権フリー」というのはやはりおかしい気がします。

ここも、ロボット製作者の権利放棄の法的手続きが可能となればすっきりするような気がします。
現実的には、著作物でないものが量産され、偶然おもしろいものができてしまったら、それを天然の産出物、天の恵みとして人類全体で共有しよう、ということになりましょうか。

いずれにせよ、このような要因も手伝って、大量のコンテンツが溢れてくると、やはりコンテンツ側には希少価値は生じにくくなり、それを享受する人間側のアテンション(注意力x時間)こそが希少資源となります。この貴重なアテンションが無駄に使われるの(draining)を抑止し、有効活用するのを助けるサービスこそが正当に対価を得るに値するはず、と再認識するのであります。

注:対極にあるのが中毒性のあるゲームやソーシャル活動等でユーザの時間を奪ったついでに金銭も頂戴するビジネスモデル。もちろん現実にビジネスになているのを否定するとかやっかむのではありません。ただ、個人的には、そっちにはいきたくない、ということであります。このこだわりが吉とでるか、凶と出るかは、当方の努力と、最終的には市場の回答にかかっています。