nomuran's diary

野村直之のはてな日記(後継ブログ)です

”Hyper”な話 その1

1994年の初め頃に、MIT AI Labで、Prof. R.C.B. と議論していてHyper Compressionの話題となりました。

これは、非破壊型情報圧縮の圧縮率の限界が理論的にどこにあるのか、という論点がきっかけの議論でした。

どちらが先に「限界はなく、加算無限倍いける。」という仮説を提唱したかは忘れましたが、このような幸福な結論で盛り上がったのは鮮明に記憶しています。

実例として、800倍くらいの圧縮率を達成した米国のベンチャー企業の成果をまな板にのせていたのですが、、その詳細はともかく、ポイントは、送信側と受信側の双方が「構造情報」をもつというものです。

ひらたくいえば、「あれかこれか」「あんなかこんなか」という大きな情報構造を双方で共有していれば、そのどれであるのか、どこがどうなっているのが現在の状態なのか、というパラメータ情報だけ送ってやれば、送信側のもっている構造情報と同一の構造情報を受信側で再現できる、というものです。

言い換えると、双方で「カンニングペーパー」をもっているようなものでしょうか。
だから原理的には加算無限倍の圧縮率が可能となるはず、というシンプルな結論です。                               

翻って、人間どうしのコミュニケーションでは、受け手が、一方的に正解を用意しているようなときがあります。多くの場合は、受け手が自身の優位性(知識「量」かその構造化の度合いか両方か)を確信しているときに起こるようです。それが無意識の確信である場合、「怒り」となってみたりすることもあるかもしれません。これは送信者側が受信者側に敬意を表して「あれほどの方なのだから前回伝えた構造情報の全てをすでにご記憶=組み込み済みのはず」「だから今回のHyper compressionが成功するはず」と確信して超高効率のコミュニケーションを試みたときに起こりがちなのかもしれません。

あらかじめ用意していた正解を覆すのにかかるコストは、人によって大きな違いがあるように思います。
今は経験則ですが、いずれ科学的に実証できる日がくるかもしれません。(コンテクスト・スイッチにかかる
コストの個人差、といったキーワードで、いろんな認知科学者が言及していると思います)

科学者としては、このような自覚を新たにして問題の分析と解決をはかればよいのですが、実務家、経営者としてはあらゆるテを使って、次回の個別のコミュニケーションを成功させる必要があります。この落差を最近自覚するようになり、覚悟を新たにしたところです。