nomuran's diary

野村直之のはてな日記(後継ブログ)です

R.Schumann 05:「理論・・などの基礎をおそれてはならない。こんなも

音楽で心得ておくべきこと 05

理論、通奏低音、対位法などの音楽の基礎をおそれてはならない。こんなものは使っている内に馴れてしまう。


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日本にもソフトウェア学院を、と、日本経団連が危機感にかられて提言したそうです。
http://www.asahi.com/business/update/0617/106.html

確かに、新卒で使えない人が多いという経験事実はあります。

中韓に比べて1桁少ない定員の情報系の学科を出ていてさえも、新しいアルゴリズムを考え出せるレベルの人は滅多にいない、といわざるを得ないかもしれません。

何か計算機で解決すべき問題を発見し、そのデータ構造を考えているうちに、問題が自然に分割されて log N という高速で処理できるように木構造を用いるか、など、すらすらいつでも使えるようにコンピュータ・サイエンスの知識がhot stand by された頭になっていて当然と思っていましたが、どうやら日本の大学出の場合、それは少数派。

有用な基礎知識を、感動や知的興奮とともに身につければ、それらを組み合わせて、全く新しい問題を解決する方法(アルゴリズム)を新しく考え出すことができるようになるはずなのですが。。

と思ったところで、ふと【音楽で心得ておくべきこと】を読み返して、なるほど、と思った次第です。実装レベルでなく、音楽でいえば対位法等の楽理にあたるような理論、モデルのレベルでも、「馴れ」で難なく身に付くことはあるらしい。というか、そもそも「難しい」かどうか考える前に、物凄い速さで身につけさせてしまうのが正しい教育のあり方ではないか、と思えてきました。

基本的には、反リテラシー主義、すなわち、馴れは大敵!という主張をここ20年ほど貫いてきました。あらゆる体験、仕事を従来にないやり方を編み出して、扱えるように導入しないと、独創性が阻害される、と思ってきました。

しかし、やはりそれは基礎が身に付いた後のこと、という風に軌道修正をする必要を感じた次第。NOVAのうたい文句への反発(英会話もスポーツのトレーニングと同様、ネイティブとの場数を踏むべしだぁ? そんな手前味噌な勝手を言うなよ、私はそんな経験ゼロでも最初から英語喋れたぞ。。)も半分消えました。


R.シューマンさん、有り難う。

明日から、少しはマシな教師になれるかもしれません。(野村直之 拝)


きのちゃんさんのコメント:


きのちゃん

私の持論:
日本でもきちんとできるプログラミングの素養を持った人は大学で少数ながら生産されているはずです。問題はその人たちの行く先で、今も大学の教官、ポスドク、メーカが主な行き先でしょう。いずれの場合もその能力が本当に試されるようなプログラミングの場面に遭遇できない可能性が高いです。
海外に行く人、フリーのプログラマになる人は自己の能力で勝負する覚悟ができた人たちですが、少数です。(「未踏」の世界にはこういう人が多くいますが)
日本のソフトウェア社会の構造がこんなことになってしまった一つの要因は、80年代ころからプログラマの不足が叫ばれ、駅弁大学情報科学科を大量に設置するために一番優秀な層を大学求人が取ってしまったことだと考えています。その結果、現場での企業間の競争は低レベルなものに落ち着き、プログラマの生産性が人月で計られるという不幸な状況を生み出したのです。

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nomuran

きのちゃんさん>

>、、メーカが主な行き先

有名大学出身は、ソフト子会社でなく本社に配属され、22、24歳から外注管理に明け暮れる、という20年前に定着しかかっていたパターンは国家的愚行以外の何者でもなかった
ですね。。

                                  • -

型から入って型から出る。型に入れるのが10%で、出られるのは1%、という厳しい芸事の世界と同様の構造をソフトウェアの世界で作れるか、あるいは作って良いものか、は議論の余地がありそうです。とはいえ、「ソフウェア工場」とか「SWQC」とかに矮小化して、上流の設計段階、そう、建築に喩えればアートの世界の個人差や個性の発揮を認めないかの風潮が大企業を中心に日本社会を覆っていたのはマズかったと思います。

私は長年、確信犯で、瞬間学習、というか、プロとして仕事しながら勉強しているからには、学習時間はゼロ近似すべし(移動中とかトイレの中で学習し終えよう!みたいな)、と考えて実践してきたつもりで、、自分向けには成果があがった(というか馴れを排除できたおかげで創造性が落ちず、磨かれたか)と思っています。で、妙なタイミングで謙虚になりと、できる限り学生さん達にも同様の美味しい体験ができるようサポートしたくなってしまう、というプロセスでした。

今後、いまは徹底的に基礎を習得する局面、などと、同じ90分の講義でも、30分ずつメリハリつけて区切って、応用編、創造編と分かり易く分けてみようかな、などと考えています。