nomuran's diary

野村直之のはてな日記(後継ブログ)です

R.Schumann 36 :「・・民謡は極めて美しいメロディーの宝庫であって

音楽で心得ておくべきこと 36

「民謡にはすべて、熱心に耳を傾けること。民謡は極めて美しいメロディーの宝庫であって、いろいろな国民性に目を開かせてくれる。」(R.シューマン)

 シューマンの弟子で、家族ぐるみの付き合いのあったヨハネス・ブラームスシューマンのクララ夫人とはちょっと仲が良すぎたという噂もあります)。敬愛する師匠の教えを忠実に守ってか、自国の民謡を歌曲やピアノ曲に取り入れたのはもちろん、スイスのアルペン・ホルンの朗々たる旋律を第1交響曲のフィナーレに取り入れたり、ハンガリー舞曲集のように、異国情緒たっぷりの旋律を素晴らしい管弦楽作品に昇華させたりしました。

 ブラームスと同世代のボヘミア人、アントニン・ドボルジャークは、自ら西欧に対する異端、異国の旋律をネイティブに育ったことを売りにしていたきらいがあります。ブラームスも彼を当初ちょっと見下ろしつつもライバル心をもっていたようで、互いに影響を与え合っていました。その痕跡は、ブラームスの第2交響曲に実によく似た雰囲気と構成をもつドボルジャークの第6交響曲にみてとれます。また、ドボルジャークが傑作、チェロ協奏曲を書いたとき、ブラームスは、「やられた!こんな音楽の可能性があったとは!」と叫んだと言われています。

 アントニン・ドボルジャークは、自らの異国情緒に飽きたらなかったのか、渡米して黒人霊歌に触れ、衝撃を受けながら、第9交響曲『新世界から』を書きます。人類が続く限り聴かれ続ける傑作でしょう。その前の第8交響曲『イギリス』も、彼からしたら異国情緒溢れる作品です。

 この他、メンデルスゾーンも、『イタリア』、『スコットランド』と、外国の文化、旋律に霊感を受け、触発された作品を書いています。クラシックの作曲家だけあげてもまだまだたくさん書くことができます。

 学問の世界でも、外国の研究者を訪問したり、彼らの訪問を受けると、大きな刺激となり、触発されて新しいアイディアが生まれることが非常に多い、といえます。この点で、距離と言語が遠い、というハンディを背負った島国日本には、ちょっと辛いものがある、といえるでしょう。

 もっと身近な民間の常識、生活用語なんかでも、外国に暮らすと、自国では思いも寄らなかった優れたものに接して新鮮な驚きを感じることが多いです。言葉1つとってみても、日本のビニール袋やポリ袋を米国では、"Plastic bag" としか呼ばない、ということは、現地で生活してみないとなかなかわかりません。

 民間療法、お婆ちゃんの知恵、その他地方の慣習の類には、多数の古人の知恵が詰まったものが多い、といえるでしょう。分析はされていなくとも検証済で役に立つ経験知識。利用しないテはありません。

 ようやくITです。ソフトウェアは、文化を反映した産物であり、ワープロの各国語化に際しても、各国の正書法や、手紙のスタイル、慣習を反映しているところがある、といえるでしょう。開発に際して、まだ仕様を手探りしている段階で、外国の類似製品に触れることは大いに刺激になります。外国の開発者との交流で、彼らの異質な発想に触れることも大切です。そのために、何もわざわざ出かけて行かなくとも、ソースコードやドキュメント、完成品の動作に触れれば相当わかってしまう点、ソフトウェアは恵まれている、といえそうです。楽譜と音楽に迫る普遍性はありそう、、と書こうとして、プログラム言語の世界は、五線紙ほど統一されていないことに改めて気づきました。

 バベルの塔で人類が分断されたのは不幸かもしれない。しかし、多言語が多様な文化を生み出す源泉となっているのも恐らく事実。プログラム言語も、今後とも多言語のままで吉、といって良いように思います。

(野村直之@メタデータ