nomuran's diary

野村直之のはてな日記(後継ブログ)です

R.Schumann 02: 「音階やその他の運指法・・時間をもっと上手に」

音楽で心得ておくべきこと 02

「音階やその他の運指法を熱心に練習しなければならない。しかし、それですべてがうまくいくと思って、大きくなるまで毎日何時間も機械的な練習をしている人が沢山いるが、それはまさに、外国語学習にあたって、ABCをできるだけ速く発音しようと骨折っているのとそっくり同じだ。時間をもっと上手に使いなさい。」(R.シューマン)

これについては、むしろ逆に、単語カードをつくって憶えるみたいな不毛な作業を呆れて横目でみていたとき、友人に言った言葉を思い出します:

「そんなのまるで音階をさらっているだけみたい。メロディを情感こめて表現できなければ演奏する意味がないのと同じで、コミュニケーションで論理的意味、感情のニュアンスまで伝えられるよう、フル・センテンスやコンテクストにはめこんだまま憶え、とっさに全く新規の文が口をついて出るようにしなければ無意味だろ!」

中学3年の頃の若気の至りだったような。。
でも、上記を実践していた私は、結果的には中学の授業から英語を初めてならい、14歳で2万の語彙を使いこなせるに至った1つの原因にはなりました。オレンジ色の大部のハードカバー、江川先生の「英文法解説」も読破して頭に入れる一方、中3の英語の教科書は、端から端まで丸暗記して、本を見ずに音読することができました。(もう1つの原因は私の脳が一部だけ幼児のままの言語習得機構を温存していたせいだと思われます)

暗記力や単純なスキルは、「たかが**されど**」の世界ですね。あなどってはいけない。いちいち本を参照したり人に訊かずに頭の中のキャッシュメモリですべて処理できれば、超高速に論理思考が進み、結果として並はずれた創造性の発揮につながります。

音楽にしても、あらゆる芸事にしても、基礎が大切。でも、最終ゴール・イメージを忘れては全てが無意味だ。

シューマンのこの2番目の言葉は、T.エジソンが本当に語った次の台詞と軌を一にしていると思います。

「偉大な発明のために、99%の汗を流すのは結構だが、1%の天才的ひらめきがなければ全ては無意味だ。」

そう。日本の戦前の修身の教科書で意図的に誤訳されたエジソンの言葉の本当の意味は上記だったのです。

1度きりの人生。
時間は上手に使いたいものだ、としみじみ思います。。 (野村直之)

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ホルンの師匠(元新日フィル主幹の松原千代繁先生)には、こんな教わり方をしました。

「人間には200の骨と400の筋肉がある。それを総動員してバランスよく動かすのはきわめて複雑で精妙なプロセス。残念ながら個々の筋肉ごとにこうこうしろ、と教えることはできないしそんなのは無意味。最終の音のイメージ、良い音、美しいパフォーマンスを頭と心に描きなさい。それを現実化するように、練習することではじめて上達できる。」

音大中退の先生でしたが(21歳で日フィル奏者になった)、ものすごく賢くて、日本語、英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語で論理的に説得力ある会話ができる人でした。

大脳新皮質(言語は筋肉制御や視覚認識と同様、旧皮質や小脳に近いという説もあります)に吸収して創造的に活用できるようになるべき「知識」の獲得についても、同様かもしれません。インターネットで事実上無尽蔵の情報に接することができる今日、どうやったら有効かつ正確な知識を短時間で獲得できるか。ゴールやアウトプットをイメージしたトレーニングのうなスタンス、アプローチがないと、無為に検索のための時間を浪費したり、ひまつぶし的に情報を右目から左目へ(?)流すだけになるかもしせん。。

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バウムクーヘンさんのコメント:


基礎を身につけている段階で、ゴールが見えてくるというか、ヒントが降ってくることってありませんか?
何気なく文献を読んでいるときとか、単語の語源をしらべているときとか、基礎的な作業の最中に、「あっ!」とおもうことがよくあります。
最近は、講義をしているときに、自分でも驚くような、妙に辻褄のあった論理をしゃべっていることがあるのですが、いかんせん、すぐにメモをとれないので、忘れちゃうんですよね・・・。

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確かに、アウトプットは、シャープな具体的イメージを狭く限定して絞り込む必要があるけれど、それを作り出すための素材や刺激としてのインプットは何でも有りで良い、いや、むしろ多彩で突拍子もないものもあった方が良いのかもしれません。ゲーテが似たようなことを言っておられたそうですね。

多彩な素材の1つとして、基礎訓練の過程で得られるものや、刺激があって良いのは当然かと思います。


口頭で喋る効果に驚かされた経験は私にもあります。紙の上で箇条書きにしたり図解したりしてもいまひとつしっくりこなかったのが、1次元(時間軸上)という厳しい制約を受けて、優先順位が絞り込まれ、精密なロジックが要求されることで、喋っていて新発見が出てきたり、と。

最近の安いデジカメには、クリアな音質で10数時間録音し、PCで整理できるようなものもありますので、「価値の高い時間」については念のため録音しておく、というのは如何でしょうか?
ダメもとで。実際に聴き返すのはたとえ100回に1回であっても、覆水盆に返らず、でありますからね。

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(野村直之@メタデータ