nomuran's diary

野村直之のはてな日記(後継ブログ)です

R.Schumann 10: 「音楽を楽譜から理解できるようにまでなりなさい」

音楽で心得ておくべきこと 10

「音楽を楽譜から理解できるようにまでなりなさい。弾くときには、だれが聴いているのかと気を遣わないこと。いつも大家に聞かせているときのように弾くこと。誰かが初見の曲を出して弾きなさいといったら、まずそれを最後まで読んでみることだ。」(R.シューマン)

冒頭の1文は、なにやら、のだめに言い聞かせているようです。
09と似ているようで、全然違うメッセージです。

「理解できる」とは何でしょうか?

ITの中でもプログラミングよりも人工知能研究の大主題の1つという感じです。
Duck Typingで思い出した「中国語の部屋」。
こちらは、機械翻訳のソースをハンド・トレースして中英翻訳をして、その手順に従って密室から脱出できても、その作業をした人間には中国語の知識が身に付いたとは全然いえない、という有名な逸話です。

一方、Winogradの積み木の部屋では、自然言語文(この研究では英語)を入力した結果、機械が理解したかどうかは、ロボットアームを動かして、言われた通りのタスクを実行できたかで判断すれば良い、という主張がなされました。

長尾真・京大前総長(平成元年度、情報処理学会大会で「機械翻訳」セッションの座長をされていて、そこで発表した私を推薦し、学術奨励賞候補にしてくださった恩人(その後投票で選出されました;1300中の5名ほどだったかな;学卒でも研究者やれるという自信をもらいました))は、岩波新書で「理解とは何か」について、教育者としての深い洞察とともに論考されています。情報と知識の違いを何10年も考え続けておられたり、、で私もこれには直接対抗案を出したりしました。何より、本質的で困難な問題について粘り強く、絶対逃げずに深く考え抜く習慣を培うのに、先生の存在は先輩としてもライバルとしても励みになりました。

改めて、「音楽を理解」の意味ですが、、やはり、まずは作曲家の意図通りに、自分の中に、感覚・感情作用を再現できることでしょうか。超一流の演奏家なら、その上にさらに新解釈を加え、本当に作曲家さえも思っていなかった領域まで感動を高めたりもできるようです。(例:自作の交響曲第五番の、斬新で素晴らしい演奏をしたL.バーンスタインに会場で駆け寄って抱きついたD.ショスタコービチ)

これをどこまで楽譜だけでできるようになれるか。

この能力は、初見演奏能力や、即興で作曲できる能力と強い相関がありそう。

ここで1つ思い出すのは、学生時代に、学習院OB中心の某社会人オケに、演奏会当日にエキストラに呼ばれた出来事です。指揮は朝比奈Jr.さん。

「おー、君かね。第一ホルンが今朝、前歯を折ったというので、他に頼める人がいなかった、ということだが、、このメイン、メンデルスゾーン交響曲スコットランドは知っている?」

「いえ、すみません。一度も聞いたこと有りません。」

「わかった。あと30分、リハーサルの時間あるので、ホルンが移調するところとか、他パートとの掛け合いのところ中心にさらっておこう。」

結局、曲を知らないまま、1,2楽章全体の半分以下しか、総練習G.P.でさらうことができませんでした。30分後に本番です。トイレにいったり着替えたり、楽器の調子も整えておかねばなりません。

 ・・ ・・

この日は、もしかすると私の人生で、頭脳の回転数が文字通り史上最高・空前絶後に上がった日だったかもしれません。演奏時間の2,3倍の速度で楽譜を先読みし、解釈し、ときどき「美しい。。」と感動しながら、今やっている箇所を間違いなく初見演奏していく。後から気づいて「あ、ソロだった!」と思ったことも数回。

凄まじい集中力を発揮しているときはミスもなくなります。
4楽章のコーダで、ベト7の1楽章をひっくり返したような音形のイ長調、6/8拍子のハイ・トーンを「えーい、ままよ!」と勇気出して3回転ジャンプに挑むような気持ち(経験ないのでわからんがきっと似てるだろう)で、演奏。

結果は、指揮の朝比奈先生に真っ先に指さされ、観客の拍手を独占させていただきました。そこまでホルンばかりが主役という曲じゃないので、事情を知らないお客様はきょとんとしておられたことでしょう。3番ホルンを吹きながら、ときどき合図で助けてくれた東京音大出身の方に感謝され、褒められたのも嬉しかったです。


、、じゃなくて、追求してたのは「音楽の理解」でした。

「最後まで読んでみる」時間無しに、ハイパー・リアルタイム処理で頑張ったのですが、どこまで「理解」していたことでしょう。半分いっていれば良い方だったかもしれません。しかし、全部の音を正確に出すことはできていました。

本来はやってはいけないことですが、音楽でも急なエキストラがDuck Typingしている事態は十分あり得る、ということのようです。基礎のできている、音の良いDuck Typerの方が、心からその曲を愛して頑張って「理解」して練習してきた奏者よりも、優れた結果を出してしまうことさえあるでしょう。


・「熱演」だけの演奏は聴衆には迷惑。
・どんなに感動してても、演奏者である以上はアタマの芯に冷静なところを残しておくべし。
・音楽演奏は、右手に薔薇の花束、左手に電卓をもって異性を口説くようなもの。

これらの教訓を念頭に置くことは、純粋な愛好家としてのアマチュアのレベルを脱して聴衆に感動をあたえるために必須でした。


プログラミングにも、このような意味でのアマチュアとプロの違いってあるのでしょうか。すぐにはわからないので、また後日、別なメッセージに寄せて考えてみたいと思います。
(野村直之@メタデータ