nomuran's diary

野村直之のはてな日記(後継ブログ)です

R.Schumann 09: 「・・楽器の助け無しで、楽譜をみて歌えるように」

音楽で心得ておくべきこと 09

「たとえ大きな声でなくても、楽器の助け無しで、楽譜をみて歌えるように努力すること。それによって耳はますます鋭敏になる。しかし、もし響きの良い声をもっていたら、天から与えられたもっとも美しい贈り物と考えて、すぐにそれを立派なものにするようにしなさい。(R. Schumann)」


まず後半から。
欧州のクラシック音楽コミュニティ(演奏家+愛好家;中間も沢山)では、伝統的に器楽よりも声楽が優位です。楽器奏者よりも、いや、場合によっては指揮者さえも、オペラの花形スターを演ずる歌手の前では姿がかすみます。

「いよっ、中村屋ー!」の歌舞伎に喩えてみてみれば、そりゃぁ、無理無い、当然のこと、と思えるのではないでしょうか。

そんな事情を考慮せずとも、人の声は美しい、と感じます。
ピアノの達人であり、鋭敏な耳で、様々な楽器に惚れ込んだシューマンでさえ、声が最高、という価値観を、この09は語っているといえます。


さて、ITに喩えられそうな前半についてです。
楽器って、、様々な開発環境ののったコンピュータ、いや、ネットワークをベースとしたITでしょうか。楽譜をみないで歌うっていうのは、ソースコードをじっくり読んで、その上でロジックをおさらいし、その動きや意味(Semantics)を直観してみよう、ということかもしれません。

「たとえ大きな声でなくても」→うーん、それほど大量、長時間でなくとも良いから、かな。

「楽器の助け無しで、楽譜をみて歌える」→あまり考えずにコードを適当に書いてすぐ安直に動かしてみる、という感じかな。

「それによって耳はますます鋭敏になる。」→アタマ(論理)と感性(ソースの美しさ)、エンジニアとしてのセンスが磨かれる、と。


うん。
確かに楽器によっては、「なんや、あのテキトーな弾き方は!?」(by ハリセン)のように、いい加減に旋律、和音、リズムを扱っちゃうこともできます。でも、ちょうど、のだめのように、めちゃくちゃ速く弾いて指を回して曲芸をする意味が全然ないわけではありません。

あと、、最初はわからないまま、典型的なデザインパターンを生成してくれる開発環境に身を委ね、先人のノウハウをなぞっていくようにして、だんだんできるようになる。そう、理解せずに動くものをちゃんと作っちゃったDuck Typingでも、やっている内に本物になる、ということはあります。


紙と鉛筆(オンラインのメモ帳でも良いでしょうね)とアタマという、安上がりな、、というか、3番目のアタマについていえば元から身体に備わっているものを使い切ってみましょう、という比喩ととらえたら妥当かもしれません。


すぐデバッガに頼るより、ちゃんと読んで理解しよう。。
うーん、過去の古傷を思い出して反省猿モードになりそうな感じになってきたので、この辺でやめますね。(野村直之)
;-b)