nomuran's diary

野村直之のはてな日記(後継ブログ)です

R.Schumann 13: 「・・菓子では子供は健康な大人に育たない。身体と

音楽で心得ておくべきこと 13

「パン菓子や砂糖菓子などの甘いものでは、子供は健康な大人に育たない。身体と同じく、精神の糧も、質素で力強いものでなければならない。大家は、この精神の糧に十分気をつかっていた。皆も、これに気を配りなさい。」

 精神修養の3大栄養素、6大栄養素、なんてあるんでしょうか。
八犬伝みたいな、仁、義、礼、智、忠、信、孝、悌、という徳は、それを備えている成熟した大人から「食べさせてもらう」(食べられた=真似された方でも、減らないはずですが;-)ことはできるのかもしれません。

 身体の栄養、という観点では、一定年齢まで食べる時間や寝る時間が不規則だったりすると、脳に未発達部分や障害を残し、忍耐力、集中力を欠いた大人、「キレる」大人になってしまう、という医学研究論文がいくつも出されているようです。厳密な証明までできているかはわかりませんが、それまで待っていては現役子供世代にとっては手遅れ。先人の知恵とも一致する、身体を作る栄養素をとれるようなバランス食を好むように、辛抱強く仕向けていく必要があるでしょう。

 具体的には、タンパク質、野菜、カルシウム等のミネラル(和食でみそ汁とかお浸しとかとれば十分ですが)を摂ることを主眼にするよう、それも子供が自ら喜んでそのような食品を規則正しく食べずには落ち着かないという位、楽々と習慣化できるように支援する。別に「躾ける」と言っても良いですが自発性、喜びまで獲得させるべき、ということで、もっと高いハードルを想定しています。

 いずれにせよ、このような目標の達成のためには、子供にナメられてはいけません。普段は民主的、対等に、無限に優しい愛情を注いでいて、その態度を示し続けるけれども、いざ、子供が我が儘な態度、要求に出たら、ニコニコしながらも頑としてその我が儘を拒絶すべきです。「君のためにならないんだよ。なぜなら・・」と、説得力のある理由付きで説明するのです。知力、体力、知恵で、圧倒的に勝る大人の凄さを垣間見せる絶好の機会かもしれません(演技、わざとらしくでなく自然に、結果として)。私の個人的経験では、息子は2歳の頃から青菜のお浸しや豆の煮付けとかが大好きで、ハンバーガやポテトチップス、その他インスタント的な食品は最初から嫌いだったので全く苦労しませんでした。さらしていない生タマネギとマヨネーズだけ苦手食品として残ってしまった私と比べても、偏食が少ないのは有り難い限りです。

 音楽や学問のレッスンで子供にナメられて苦労している先生方にとって、上記の食べ物の話が少しでも参考になるでしょうか。大学院で授業する際に、どうしても大事なポイントとそうでないポイントの違いがわからず、何か理解しかけると逃避する(頭脳をフル回転させない)癖が抜けない学生さんを相手に、根比べしたことがあります。あっちへ逃げれば、その逃げ道をふさぐ。こっちへ逃げればその逃げ道をふさぐ。でも、何時間延長してサシで対話を続けても、40数年間逃げ続けてきた人(骨のある、噛み応えのある精神修養の糧を摂取してこなかったため自分の頭で考えることをやらずに来てしまった人)を助けることができなかったという痛恨の経験はあります。

 人は、よほどのこと(大切な人との別れ、健康上の一大事等)がない限り変われない、という本田健さん他の主張は、残念ながら正しいようです。もちろん、ここでいう「人」は大人のこと。小さな子供達なら、僅かな一瞬の痛みがあるかないか程度で、簡単に変身、成長、upgradeできるものです。その時期までに必要な「糧」を供給し忘れるというのは実にもったいない、痛恨の失敗ということもできます。

 ただ、国際音楽コンクールで優勝を目指す、というのでもない限り、幼少の頃に始めなくても間に合うことが大部分なはず。多少効率は落ちても、本当にやりたいこと、目指す方向が定まっているのなら、いつスタートしても相当な水準にいけるでしょう。総合的、統合的なスキル(integrity)を獲得するのにも10年あれば一流の専門家になれる可能性は十分高いと思います。

「ヤバいぜっ! デジタル日本」 高城 剛 の書評にも書いた、「マルチスペシャリスト」を目指すためにも、幼少の頃に始めなければ間に合わない、という諦めは禁物(コンサート・ピアニストを目指すなど例外はありますが)。

 その分野(specialty)に必要な、質素で力強い精神の糧を自ら洗い出し、しっかり摂取する、という主体的、能動的な学習によって、「マルチスペシャリスト」を多くの人が目指して欲しい、と切に思います。(野村直之)